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一言法話:第三十五話

執筆者の写真: 密寺 満願密寺 満願

今年は、秋が本当に短くて瞬きの様でした。

昔から「千秋の思い」と言いますがこんなに短い秋なら千秋の重さも変わる気がします。

さて私は十月生まれなで暦の上では秋ですが体感的には晩夏です。

一年の始まりが暦では一月ですが社会生活上では年度の始まりが新しい年のような感じします。

誰もが毎年一つづつ歳を重ねますが、本当に段々一年が過ぎて行く速さが増してます。

それと同時に物忘れが酷くなります。

すっかり忘れて仕舞うものから、度忘れ。

分かっているのに出てこないまで様々あります。

そんな自分に情けなさを感じますが人は生き物。

生き物頭の中で必要なモノと忘れていいものを上手く判断して記憶して不要のモノ(判断基準はわかりませんが)忘れてしまうように出来ています。

それで良いのだと思います。

私達の生活の中には昔からの言い伝えが残っていますが、その中には仏教的なのもございます。

食事の時に「いただきます」と言うのは、食品にかかわるすべての命とそれに関わる全ての人に感謝していただきます。

からきていますが、詳しくは知りませんがキリスト教はまず神に感謝します。

どちらだとしても食す前に感謝する事は同じです。

時代と共に変化したりしますが根本的に必要なモノは変わらないです。

生きていく事は苦行です。

その苦行の中で忘れたい事を忘却の彼方にすることは大切だと思います。

修行の時「経は覚えず経を読め」と教えられます。

経を読むのは人です。

人は忘れる生き物だから覚えず読む。

これが正しい教えです。

ただこれは簡単に見えて難しいことでもあります。




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