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執筆者の写真密寺 満願

一言法話:第十一話

更新日:2023年9月26日

7月のテロ事件以来テレビ番組の多くで某教団の話が多くを占めています。

ある番組を見ていたら解散させた方がいいとの意見がほとんどでした。

ある方のコメントに集まりや、組が無くても信仰は個人で出来るから信仰されてる方は引き続き信仰されたら良いし、信仰の自由は守らなければならない。と言われました。

確かにその通りだと思いましたが、身近なことに当てはめてみると疑問?心配が浮かびました。

葬儀後の法事などでやたら遺影を気にされる方が多いです。

確かに身近な存在だった方の写真だからそうなるのもわかりますが、位牌などにも同じ感じで大切にして欲しいと思います。

僧侶になる時勉強中に聞いたのは「仏は人間の思う心の中にいる。」また手を合わせ願えば来られるのだと。

ただ教えを聞いてもなかなかそれを完全理解するのは難しいから拝む対象を作って信仰の対象にしている。

なので初期の信仰は山だったり大木や岩など自然なものを信仰の対象でした。

ただ対象が有れば良いというものではなくて必ず入魂することにより開眼し、仏様になります。

頭では信じる事は出来ると思っていても、それをずっと続けることは難しい生き物です。

求め欲するものあれば対象は必要だと思います。

最初の話題に戻すと簡単な話だとは思いませんが、人には智慧があるので結集して少しでも良い方向に進み、信仰や宗教がなんとなく悪いという風向きが変わる事を願います。




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