一言法話:第四十九話
- 密寺 満願
- 1 日前
- 読了時間: 2分
最近事あるごとに感じる気づきについて綴りたいと思います。
読まれた方のなかには
「それは単にあなたが歳を取ったからでは?」
と思われる方もおられるかもしれません独り言だと思って読んでいただけると幸いです。
それはどんな事かと申しますと、人々行動や思考の中心が「何を得るか」という点に偏ってきているのではないか、ということです。
人が人である以上、何かを求めるということは当然ですが、ここ数十年の傾向としてその「得るもの」は楽しいのか、形があるモノか、お徳なのか。 に比重が置かれ過ぎているように感じます。
仕事柄かもしれませんが、特に信仰についてそれを顕著に感じます。
故人とのお別れもとにかく質素にという傾向が強く、経済的に質素にしか出来ないという方だけでなく、そうではない方までも質素にされている傾向が強いように感じます。
お隣の天満宮さんの行事を拝見していても昔ながらの信仰行事の参加者は減少している様に見えますが、自分が面白いと感じる楽しいレクリエーション的なものには多くの方が参加されています。
立場的に多くの方を呼び信仰に繋げていきたいという思いは理解できます。
しかし、現実はなかなか教化してないように見受けられます。
当方の稲荷の祭りも参加者が減っています。
一番の理由は私の努力不足ではありますが、「お祭りの日には別の行事がありまして、また別の日にお参りします」とよく聞きます。
法事やお盆を止められる方も少なくありません。
事情や信仰心を私なりに理解しておりますが、私の気持ちを表せば、心の安堵を得ていますか?
目に見えないものに時間やお金を割くことは、今の時代、難しいことかもしれません。
けれど、その分、目には見えない「心」に得られるものは必ずあります。
そんな私の想いに、少しでも共感していただける方がいれば、これほど嬉しいことはありません。




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